<本文より抜粋> 〜伝説というものはつねにその結末以外のすべてにおいて真実を大袈裟に作り上げてしまうものであるが、事態は次のように進んで行った。
1978年1月、ジョニー・ロットンはセックス・ピストルズを二日前に辞め、もう戻らない事を明らかにした。〜中略〜ジェリー・ダマーズの頭に、あるアイデアが浮かんだ。それはおそらく、彼が今までに考え付いたもののなかでももっとも大胆不敵なものだった。ロットンに、オートマチックスとギグをやってほしいとオファーしない手はないだろう?ロンドンへ向かったダマーズは、この元ピストルズの取り巻きたちの中へ潜入を開始した。彼は何とか同じコヴェントリー出身で、クラッシュのローディーをしているスティーブ・コノリーまでたどり着いた。その時は気付いていなかったが、彼はおそらくダマーズが出会えるもっとも目的に近い人物だった。録音したばかりのオートマティックスのリハーサル・テープを手に、できればロットンに渡してほしいと頼んだ。実際にはクラッシュのマネージャー、バーニー・ローズまでしか届かなかったが、それで十分だった。コヴェントリーに戻る頃までには、ダマーズはオートマティックスを、1月24日にバーミンガムのバーバレラズで行われるクラッシュのショウのオープニング・アクトに決定させていた。〜
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